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みなさま

大変ご無沙汰しております。
にしむらでございます。

笑い話です。

「ハチセの社員なんだから社員さんの家はみなさん
もちろん町家なんですよね?」てよく聞かれます。
ギクッ!!・・実態は・・・?
皆さんの想像にお任せします。

というわけで
私の購入した家は路地奥の小さな京町家です。
買ったときは南側部分が腐っており倒壊寸前の大変な家でした。

漸く工事は第4コーナーにかかりました。


新婚さんぽい洋風の白い家がいいなぁなんて無茶を言う嫁さんと
戦いながらも妥協し、折衷案でその希望をとりいれつつ、
家としての資産価値を高めるべく考え
工務の木村先生と練りに練ったお家が、やっと完成が近づいてきました。

改装して表は見たことの無い斬新な町家の外観に変身しましたが
中身は・・・・・・。。洋風が少し残念ですが。。
でも個性的な面白い仕上がりになっています。


というわけで
「にしむらの家になる予定の京町家」を見学のできる改装見学会企画を
完全予約制で9月12日13日に行います。(予定です。遅れたらスマセン)

気になる方は、予約を入れてちょこっと覗いてみてください。

改装のヒントをにしむらがお教えします。
こんな方はピッタリかもしれません。

・マイホームを将来収益物件に変身させたい。
・洋風/欧風な感じでも時間が経てば味が出る仕上げにしたい。
・再建築不可でローンが通る家を作りたい。
・自然素材で健康な住宅を作りたい。
・面白い意匠の和室を作ってみたい。


ご予約はこちらから
http://www.kyomachiya-hachise.jp/remodel/specialopen-na.html

みなさまお楽しみに!
皆様

おはようございます。
にしむらです。

普段の業務で四条通南部の界隈で動いており、街の観察を
しておりますとその変化の速さに驚くことが多いです。

四条より南にある寺町通はご存知でしょうか?
そう、ここは10年前にはれっきとした電気屋街だったのです。

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喜ばしいことか悲しい事か街は変貌をとげ
京都駅周辺の大型家電量販店に客を奪われ
寺町通の電器屋・家電屋さんは今は大きな店舗を残して
数えるほどなくなってしまいました。

では電気屋さんは何に変わっていったのでしょうか?

列挙しましょう。
・カフェ/ダイニング(最近は見ませんがメイドカフェっぽいのも確かあった。。) 
・美容室
・スーパーマーケットのフレスコ
IMG_7219s.jpg

・和菓子屋
・パン屋さん
・マニアックな信長書店
・リラクゼーション
・鍵屋
・レンタルビデオ
・証券会社

さらにさらに、パソコン、周辺機器の販売店だった
JOSIN電気のJ&P(寺町通高辻上る)は、大規模店舗転用・改装を行ってます。
IMG_7220s.jpg

次に誕生するのは、おもちゃ専門店だそうです。

単なる電気屋街が周辺の居住者の日常生活に
密着した店舗群=社会インフラに変わってきているのです。

          
私の業務でも築年数不詳の町家のテナントの賃貸斡旋業務をしておりますが

西の御幸町通(四条より南)では
  大型の京町家(橘町)で結婚式2次会のできる和風居酒屋(伽芽論)に工事中
   IMG_7222s.jpg

  その北にはまきストーブのあるお洒落な町家BAR
  IMG_7223s.jpg

  高辻通り沿い(御幸町西入)にはフランス家庭料理屋(La Table au Japon)が誕生
 次々と新しい店舗が生まれております。


経済情勢・社会構造の変化に街は敏感に追随していきます。
従来の電気屋と老舗の茶道具屋や和菓子屋等の店舗が一部残り、
日常生活に必須の新たな店舗が加えられ、
寺町通は面白い感じになってきています。

この店舗の多様性こそが本来の寺町通の在り方なのかもしれません。
下京区の洛央学区が楽しく・便利な街になることは大歓迎です。






こんにちわ
にしむらです。

本日は良書をみなさんにご紹介しましょう。
米国の社会学者のリチャード・フロリダの最新刊である「Who's Your City」の
日本語版「クリエイティブ都市論」です。

クリエイティブ都市論―創造性は居心地のよい場所を求めるクリエイティブ都市論―創造性は居心地のよい場所を求める
(2009/02/20)
リチャード・フロリダ

商品詳細を見る



前書「クリエイティブクラスの世紀」や「クリエイティブ資本論」では彼が定義した
クリエイティブな仕事を行う科学者・研究者・芸術家・音楽家・デザイナー・エンジニア・
知識産業などの職業人=「クリエイティブ・クラス」とその周辺産業が世界経済にもらたす
大きな影響と変化を説きました。

本書ではさらにそのクリエイティブクラスが与える地域的な特徴を
新たな地域国家「メガ地域(道州制に相当?)」を定義し、定量的なデータを
用いて解析するとともに、その影響により今後発展を遂げる都市、停滞する都市や
我々が本当の幸せを得るための居住地についての示唆を
大いに与えてくれます。

本書では序章から我々の常識を凌駕する面白いデータが飛び交います。

例えば「ゲイとボヘミアン(芸術家)が多い街は発展する。」
住宅価格とボヘミアン=ゲイ指数(地域の芸術家・同性愛人口比率)
に高い相関関係が米国の都市では認められることが明らかになってます。

これは芸術家やゲイの方が経済発展に直接的な影響を及ぼすわけではありませんが
地域に対する参入障壁が低く、文化や民族に対する多様性があり起業風土にあふれた地域こそが
将来、持続発展し生き残る都市郡だということなのです。

サブタイトル「創造性は居心地のよい場所を求める」と以下が本書の勘所です。

職業やキャリアの選択、あるいは伴侶を見つけることが人生にとってどれだけ重要か
我々は認識をしています。すなわち「何を」「誰と」行うかという選択です。
さらに3つ目の大きな決断は私たち自身と家族が「どこに」住むかです。
この第3の選択が人生のあらゆる側面において重大かつ長期的な影響を及ぼし
住む場所こそが職業的成功や仕事上の人脈から幸福感や
快適な暮らしに至るまでの全てを決定するのです。


本書を読み、私は日本とホームグランドである京都市を当てはめて考えます。

京都には大学が多く学術研究が盛んである事。
京都には芸術・音楽活動を活発に行える基盤がある事。
京都にはイノベーション風土の強いハイテク企業が多く存在する事。
京都には伝統文化や観光地が多く、美しい景観が存在すること。また今後も創出される事。

京都には肉体労働者以外の外国人居住者が多く決して閉鎖的ではない事。
京町家を買うお客様には大学教授(研究者)・芸術家・エンジニア比率が極めて高い事。

まさに京都はフロリダのいうイノベーションと多様性・寛容性を兼ね備えた
勝ち組の都市郡に当てはまるのです。

現在、毎日のように日経平均が取り上げられ経済恐慌やとこの世の終わりのように
報道されてますが、なんだかものすごい小さなことのように感じられます。
確実に言えることはクリエイティブクラスが京都市内の街中で
家を買う動きは強ち間違いではなく、世界経済の潮流なのかと確信できました。

さぁ、みなさん京都に一緒に住みましょう!
また住まない方は美しい京都に京町家に投資をしませんか?
みなさま

こんにちわ
にしむらです。

今日は京都の寺の歴史にまつわる話題をお伝えしましょう!

六条通から南で堀川通沿い、烏丸通沿いに
それぞれ西本願寺、東本願寺という日本の誇る大寺院が
あるのをご存知でしょうか?

なぜ同一の名前の寺が京都に2つもあるのでしょうか?

今日は歴史的な経緯を簡単に解説したいと思います。

時は安土桃山(戦国)時代。
畿内にどんどん進出する織田信長の時代です。

統一ためには手段を選ばない信長でしたが
当時たくさんの抵抗勢力がおりました。
甲斐の武田信玄をはじめ浅井、朝倉、上杉、毛利といった
戦国大名のほかには京都の足利幕府、朝廷、公家衆。

また京都・大坂・北陸を中心に大勢力を持ち、公家を外戚にし
朝廷とも懐柔し、当時かなりの権力を誇り、各地の一向衆を動かし
戦国大名と共に信長包囲網に参賀し信長を多いに苦しめていたのが
浄土真宗の開祖親鸞聖人の末裔である本願寺教団でした。

その時の当主がゲームソフト「信長の野望」でも登場する
第11代の顕如(本願寺光佐)です。
彼は信長の天下統一を10年遅らせたと言われております。

顕如の時代、本願寺教団は、父の時代以来進めてきた門徒による
一向一揆の掌握に務める一方、管領の細川家や京の公家衆との
縁戚関係を深めており、経済的・軍事的な要衝である石山本願寺を拠点として、
主に畿内を中心に本願寺派の寺を配置し、大名に匹敵する権力を有するようになり、
教団は最盛期を迎えていました。

各地で反信長勢力が敗戦を続け同盟の大名が次々と信長に攻め滅ぼされ
信長優位になると、顕如は負けを悟り、朝廷を通して信長に和平を申し入れました。

その後、顕如は信長の命で紀伊国に退去することになりますが
本能寺の変の後、豊臣秀吉と和解し、大坂天満に転居。
さらにその後京都に堀川六条に寺地を与えられ本願寺教団を再興します。

しかーし!
1592年に顕如が没すると
事態は急変します。

石山本願寺退去時の信長への対応をめぐって顕如と意見の食い違いがあった
長男の教如(強硬派)に代わり、三男の准如(和睦派)が12世門主に
立てられることになったのです。
こうして教団内部で対立状況が継続する中、
徳川家康は2つを別れて存続される方針を選びます。
烏丸六条に寺地の寄進がなされ、慶長7年(1602年)、
教如と彼を支持する勢力は独立して東本願寺を建立しました。
このため、本願寺は、准如の本願寺(西本願寺)と
教如の本願寺(東本願寺)
とに分裂することになったのです。

ということで現在のそれぞれの本願寺の正式名称は

西本願寺は
浄土真宗本願寺派 総本山 本願寺
正式の寺号は本願寺(ほんがんじ)。山号は龍谷山
幕末期には京都を守る剣客集団新選組の本拠地ともなっている。
ちなみに2011年4月9日より西本願寺の御影堂にて
親鸞聖人750回大遠忌法要開始予定。

ものすごい人が京都に来るので
ビジネスチャンスがあるかもしれません。

東本願寺は
真宗大谷派 総本山 真宗本廟
東本願寺の御影堂は、境内のほぼ中心に位置し、宗祖親鸞の坐像が安置される。
世界最大級の木造建築物である(2008年12月まで大修復工事中)。
2008年現在の建物は、明治13年(1880年)起工し、明治28年(1895年)の完成予定。

そして京都は大学でも宗教の影響力が強いです。
大谷大学と龍谷大学は東・西本願寺のそれぞれの宗派の
私立大学だったわけです。


大きな組織の社長が無くなると
子供が相続でもめるという話はよくありますね。

東山区にあるブランド鞄の製造・販売の
一澤帆布工業の長男である伸太郎氏と
三男の信三郎氏の相続トラブルは記憶に新しいです。

「相続」が「争族」にならないよう気をつけたいものです。








町家が保存再生される町のおさらいをしておきます。


町家が残っていくパターンは2種類あります。

A 経済活動が活発ですが、京都らしい景観が積極的に保たれるエリア
B 住宅の新陳代謝や経済活動が活性化されてないので潰されずに残っているエリア

いうまでも無く資産価値の高い街は前者です。
30年後~50年後も町家が活発に再利用され
街が元気になりそうなエリアを推論します。

町家や伝統建造物が多数残り再生され
将来的にも街の経済力が持続成長する広域エリアを挙げるなら


東山区北部・左京区南部エリア

祇園に八坂神社・高台寺・清水寺・知恩院・岡崎・永観堂
京都観光のシンボルであるべき地域。

景観も一番美しいと思います。
集客力も府外・海外からの注目もナンバー1。
今後も資金流入が続きます。

・都心部の烏丸通西部エリア

新町通り・油小路通・室町通を中心に美しい町家が残ります。
明倫学区は芸術の街としても注目されはじめている。
町家改装で洗練された店舗が多い。
四条釜座下がるの新釜座町は有形歴史遺産の杉本家があり町家の並ぶ路地として有名。
住む人々もステータスが高いです。

京都駅北・東本願寺界隈エリア
元皆山学区は宿場町と東西本願寺の門前町は仏教の街として有名ですが
それ以上に京都駅や都心からの距離が近いのが最大のメリットで
住んでみると意外と静かな場所です。
地価も手頃で今後資産価値もあがりそうです。


・上京区の地下鉄沿線系エリア(新町・室町学区)

上京区はお寺と伝統工業の街と説明すると判りやすい。
御所西は公家や武家が多く住んだ由緒正しい場所。
地位が高いのはやはり北です。

小川通寺ノ内には
川村織物で有名な大型の町家があります。
茶道の家元が並ぶ表千家・裏千家武者小路家や
人形寺の宝鏡寺はこのエリアです。


・西陣/上七軒/紫野東部エリア

西陣は上記の室町と同じく京都の織物の繊維業の中心地ですので
京都市北部の町家のメッカといえます。
織屋建といって奥に天井の高い工場がある造りの町家が多く
それを再利用したダイニングやカフェなどの店舗が多いのです。
五辻通などは散策してみるととても楽しいエリア。
その他の観光名所としては上七軒や北野天満宮・北部では大徳寺・船岡山が名所。

・洛中エリア(都心部・堀川通よりやや西四条大宮・三条商店街・壬生・二条駅界隈)

三条商店街・御池踊りには町家の再生ショップ・カフェが多数展開。
住宅への改装事例も多い。
京都人の生活観、息遣いが感じ取れる
いまが旬の賑やかな街です。

・伏見桃山(南浜)エリア
地図では触れておりませんが伏見の旧市街地は
地政学的にも日本の歴史上と関係の深い場所です。
南浜学区は伏見区の中心市街地の南側で
美しい町家の酒蔵が多く残ります。


住宅として考えた場合、都心部では値段が
なかなか折り合えないかもしれません。

今後、特に手を打たなければ
まず幹線道路に建つ町家は全滅するでしょう。
そして地価の極めて高い場所にある大きな町家も
残念ながらどんどんマンションに淘汰されてしまうでしょう。
都心で残る町家は上手く店舗・事務所に転用できるもののみです。


町家の残る場所を一言で言い表せばキーワードは
「都心の店舗もしくは細街路の狭小町家」「準都心の町家街」かと思います。
   
概して10坪~20坪くらいの土地に
15坪~30坪くらいの建物が乗っている建物が
住宅としてはよく売れております。
また、ここに挙げなかった地下鉄から少し距離がある
内陸系の町の町家も改装住宅としては残っていきそうです。

一つでも多くの町家が残るように動いていくのが
われわれ㈱八清の使命です。

町家が残って京都経済が活性化すれば
これほど嬉しいことはありません。
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